Archive for 1月 2009


友のために祈る 〜1月11日キッズアワーのお話

1月 15th, 2009 — 10:21pm

去年の暮れから、土曜日のワーシップナイトの後、教会に泊って日曜の朝を迎えることにしていたおかげで、9時からのキッズアワーに出る機会が増えてきました。

このキッズアワーは、一般に教会学校とか、日曜学校とか呼ばれているもので、中学生までの年代の子供たちが集まってきます。全員で聖書のお話を聞いたあと、年代ごとの分級にわかれて、教師スタッフと一緒に楽しみながら聖書を学んだり、遊んだり。。

昔から子供たちを大切にしてきた私たちの教会にとって、なくてはならないのがこのキッズアワーなのです。

前回1月11日の聖書のお話は、マルコによる福音書2:11からでした。
4人の人が、イエス様に病人を治してもらうために、天井からその人の床をつり下ろしました。その後、病人はイエス様の言葉で、床を担いで歩きだしたのです。教師スタッフY姉妹はこの場面から、友のために祈ることの大切さを話されていました。

また、来れないお友達のために祈る少年の姿が印象的でした。

もしかしたら、お友達が風邪でもひいたかもしれないって思って祈っていたのかな?治ってまた、教会に元気に来る姿を信じて。

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恒例 「おもちつき会」

1月 7th, 2009 — 11:38pm

2009年今年も恒例となりました、
「おもちつき会」を、1月4日(日)礼拝後に行ないました!

もちつき

こどもから、おとな、おじいちゃん、おばあちゃんまで、
沢山の方々と一緒に、本物の木でできた、臼と杵で行ないました。

何と言っても、つきたてのお餅は最高!

そのままでも、美味しいのに、、用意されたメニューは、まず、

定番の「きなこ」。体にも良さそう〜

もちつき きなこ

そして、人気メニューとなりました。。
牧師婦人特製、「雑煮」

もちつき 雑煮

一度食べたら、また食べたくなる味!!

そして、「海苔もち」

もちつき 海苔もち

このほかにも、「納豆」と、あんこを入れた大福まで、
しかも、この大福、種類がなんと、3種類!

ノーマルの白に、ピンクの大福。

そして!牧師先生が、この日の為に夏に収穫した、よもぎを使った、
「よもぎ大福」!!

お腹いっぱい食べました。でも、
食べてばかりではなく、参加している子供達も実際に杵を使って、
おもちをつきました。

お笑い芸人のマネをする子もいましたが…ネ

その、隣の部屋で…

ん?

あれ?

おもち 将棋

休憩に勝負していた!

大人vs中学生の対決。

挑戦者、中学生。いい勉強になったそうです。。。

そして、最後は後始末。

普段は掃除をしない、お父さんと、
普段から、お掃除大好き、パパがペアで、後片付け!

おもちつき 掃除

床の雑巾がけまで。。

完璧です。

気がつくとこの餅つき会。
10年近く、毎年行なわれている恒例行事となっておりました。

今年もみんなで、たのしく、美味しいひと時を過ごしました。

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2008年最後のメッセージから思ったこと (My impression of the final sermon in 2008)

1月 2nd, 2009 — 6:31pm

今年最後の日曜礼拝のメッセージはマタイによる福音書2:13〜18節「救い主を拒む世界」でした。

聞いていて、すごく考えさせられました。

この個所って、追及していくといろんな疑問出てくるんですよ。たとえば・・

その1

救い主は赤ん坊として誕生する必要があったんだろうか。しかもこんな危険な時代に。救い主ならば、はじめから力ある成人の姿で歴史に登場してきたほうがよかったんじゃないか。

その2

神が愛だというなら、どうして神はヘロデ王の行う幼子への虐殺を見過ごされたのか。救い主誕生の時代に殺された子やその親たちにとって想像を絶する悲劇ではないか。

正直、これらの疑問に的確に回答することは難しいです。私自身、メッセージを把握しきれていないところがありますが、以下のように考えられます。

その1に関しては、救い主は世の罪を身代りに背負って死ぬ立場にあって、生まれたときから平安の中に生きることが許されなかったということではないでしょうか。宿もベッドもなく、馬小屋と飼葉おけの中で生まれたというのも、象徴的です。また、救い主が人の親に育てられたということから、親は子を育てる役割があることをも示しています。現代には、ネグレクト、育児放棄の問題がありますが、少なくとも聖書的とは言えないでしょう。

その2については、たぶんだれもが疑問に思うのではないでしょうか。神は愛なのに、世の中の悲劇はなくならないのはなぜ?しかし、これはヒューマニズム(人間中心主義)で理解することはできないのです。

人は神から自由意思で生きていくことが許されています。ヘロデ王もまた例外ではありませんでした。彼もまた自由意思で生きる神から愛された人だったのです。だから、神の権威を認めて生きることも、それを退けて自分中心に生きることもできました。そして彼は結局後者を選びました。

こういうことは、歴史からなくなるどころか、ますます増えていっているようです。

私はクリスチャンだから、当然神の権威を認めて生きていきたいのですが、あるときはヘロデ王のような自己中心の性質がいつのまにか顔を出すことがあります。

でも、悔い改めて立ち返ることが許されています。それこそ、救い主を拒む世界にもたらされている大きな神の愛なのでしょうね。

The sermon of the final Sunday in 2008 was ‘The world that refuses the Messiah’(Matthew 2:13〜18)

This sermon made me think about its meaning deeply.

The scriptures give various questions.

For example,

1st
Was it necessary that the Messiah was born as a baby in such a dangerous age? The Messiah should have been born as a strong adult from the beginning.

2nd
God is supposed to love the world. Why did God let Herod kill babies? That tragedy of the babies and their parents was beyond our imagination.

To be honest, it is difficult for me to answer those questions so well. I have not understood the sermon completely but I think we should understand like these….

About 1st, the scriptures seem to say the messiah was not allowed to live in a peaceful situation because he must die with our sins instead of us. It is symbolic that he was born not in an inn and bed but in a stable and a manger. Besides, the scriptures imply parents have roles to bring up their children for the Messiah was brought up by his parents. Today we see problems that parents give up child-care or abandon their children but they cannot be biblical at least.

About 2nd, anyone might question. “God is supposed to love the world. Why have tragedies existed yet in spite of that?”But we cannot understand it by humanism.

We are allowed to do anything by our own will. Herod was not an exception. He was also loved by God and had free will. Therefore, He was able to choose either, be obedient to God’s authority or refuse God’s will with egocentricity. Finally, he chose the latter.
I think incidents like that case have been not decreasing but increasing in the world….

I am a Christian so I want to be obedient to God of course but a Herod’s character in me often appears.

However, I am allowed to repent. That must be the great God’s love given to the world that refuses the Messiah.

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ごあいさつ

1月 1st, 2009 — 8:00am

新しい年を迎え、皆さまに新年のごあいさつを申し上げます。

私たちにとりましては、新しい会堂での二度目の新年となりました。
昨年は、2月10日に北海道内はもとより、全国各地から200名を超える
お客さまのご来訪を頂き、
感謝の内に献堂式をお捧げすることが出来ました。

また、定例の祝祭日の記念行事を初め、地区内諸教会が集う信徒大会や
ゴスペルコンサート、クラッシクコンサート等々が新会堂で行われ、
大勢のお客さまをお招きしての活動もさせて頂き、大きな喜びであり、
感謝でありました。

これからも、会堂の基本コンセプトに掲げられている通り、
老若男女が集う、喜びと賛美に満ちた会堂として生かされ、
用いられて行くように祈りつつ歩んで行きたいと願っています。

また同時に、いよいよ本格的な銀行返済も始まりました。
これからの12年間、心を合わせてこのために備えて参ります。
これから先も、私たちの必要が十分に満たされますよう、
皆さまの執り成しの祈りにお加え頂きますなら
これに勝る大きな励みはございません。

どうぞ今年も宜しくお願い申し上げます。
また、皆さまの上に神さまの豊かなご祝福を心よりお祈り申し上げます。

小樽聖十字教会  小栗 昭夫

1 comment » | oguri

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